プロ有難ヤー
ブログ更新再開したら、たくさんの人が来てくれたようだ。ありがたやありがたや。
もう一つありがたや。私淑している借金玉さんが当ブログを言及してくれた。沢山の人が来たのはこのためでもあったか。
例えばデッドボールさんのアスペめしなんてまさしく文化なんだよな。それ自体を楽しみながら積み上げていく営為があるんだから。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2018年1月25日
まさしく文化! いいですか、皆さん、これが文化ですよ(ドヤ)
ツナパスタソースにコーンを入れたらうまかった、もやしのナムルはこの作り方がうまかった。そういうのが文化なんだよ。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2018年1月25日
ツナパスタは昨日の記事。これだけだと何が文化なのかわからないので、その前の文脈を少々。
「文化」がないと、メシ作りなんて単なる生活の重荷以外の何ものでもないからな。文化は時に苦行を娯楽に変えるんだけど、この変化が起きるまでにはかなり高度な技術習得を要するんだよな…。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2018年1月25日
確かに、ブログ書くことで娯楽に変えているところがある。ブログ書く前は、毎日曖昧にインスタント食品食べてた気が(記憶がおぼろボロボロ)。
昔、同居してた仲間に「たまにはテメーも食いモン買ってこい」って言ったら冷凍フライドポテトと冷凍枝豆と冷凍ハンバーグ買って来たことあって頭抱えたんだけど、まぁそういうことなんだよな。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2018年1月25日
簡単に言うとそういうことでした。
料理ってのは美味を追求するものであるとともに、乏しい劣悪な食材を少しでもうまく食うためのものでもあり、どっちかと言えば本質はそっちなんだ。ただ、これが「文化」だってことに気づけないと、先へは進めない。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2018年1月25日
「文化」だとは気付いてなかったのは秘密。
文化の本質は、生きるための営為から楽しさを抽出することだと思うんだ。これが出来ると、少しずつでも生活を良い方向に持っていける。パッケージ化された楽しさは「消費」だけど、文化から生まれる楽しさは「生産」なんだ。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2018年1月25日
消費と生産の対比は面白い。単にインスタント食品を食べただけの食事はブログ書く気が起こらないけど、単なる消費だからだろうな。「生産」は充実感があるんだけど、それなりに手間がかかって産みの苦しみ(大げさ)がある。
と、ブログの意義を言語化してもらったので、今後もつ食って生きますよ。